好きと愛


Q、好きで好きで好きで好きで、一億個くらい好きだとしてもそこに理由は必要なのか。
A、選別し、言語化すること、説明することは可能である。

でもね、難しいことはやめようか、ただそのまま、好き、でいいよ。て思うの。
わたしたち、すぐに知りたがって、なんでなんでなんで、なんていうけどさ、
そういうのたまにはやめていいかな、て思うの。
感覚を感覚のまま置いておく。

好きは単純でシンプルなものよ。

Q、じゃあ愛ってやつは?

※好きと愛はイコールとは限らず、どちらかの延長線上にあるとも限らない。

A、愛は元々みんな持っているものかなーて思っている。
血が流れて、生きている温度を自分以外の物質から感じられたら、既にそこにあるんだと思うの。

愛もシンプル。一緒に生きたらうれしいね。

同じ未來


同じ未来

同じ未来を願わないことだ。
わたしの未来は手の中に、なんてのは歌みたいで、そして真実であろうが、誰かとわたしの未来は手の中にはない。
ゴールを想定しない。
わたしたちはいつも不確かである。

同じものをみる。そして一緒にいいね、て笑う。
でもきみの世界とわたしの世界は違う。
交わってはほどける。
糸はより合うことはあれど、同じものにはならない。
わたしたちは違うのだ。素敵なことよ。
大事なことは自分で決める。
当たり前じゃん、孤独なんだもん、人だからさ。

「存在している」。大切なのはそれにつきる気がするよ。
思想を共にしないといけないなんて、宗教じゃないんだしさ。
(信仰や宗教は好きだけどね。)

わたしはきみの違う世界が好き。
たまに遊びに行くの。それでいいし、それがいいの。
形なんて変えなくていいのよ。
歪なことは嫌い。

いつも自由でいい。自由がいいじゃん。
なにも強制しないしされないよ。
そうしてはじめて、わたしたちの未来は手の中に。

絵の前できみは話す


絵の前できみは話す。
そしてきみの記憶を共有する。

絵はわたしたちをうつす。

たわいもない会話をする。
絵はわたしたちの記憶を思い起こさせ、きみの楽しいことや辛いこと、今日はいい天気だね、なんて話をする。

絵は世界だから。
世界の前で世界だけをみることが重要なわけではない。
世界できみがうつって、きみは思いを巡らせ、そしてわたしは疑問に答えたり、傾聴したり、話したりする。

正解なんてない。
こうしなければならないなどという取り決めがあるのならば、そもそも芸術は必要ではないでしょう。
別でやればいいだけのこと。

わたしはただの作家です。
みる人の意識や在り方をコントロールすることはない。
あなたはしあわせになったり、考えたり、はたまた不快になったりする。
わたしの思う作家とは、そういう環境を作品を通してつくる人です。

話したい人は話したらいいんだよ。

それは愛だった


泣き出してしまった。
それは愛だった。

わたしはこわかったんだね。
誰を敵にしても味方にしてもいいよ。(そもそもそんな概念すらどっちでもいいんだよ。)
ただね、きみには信じてほしかったし、信じたかった。
きみを悲しませたりしたくないし、きみに悲しまされたりもしたくないよ。
愛してるよ、ていいたくて、それがちゃんと伝わってほしかった。
なんだかわからなくなったとき、わたしは泣いてしまったんだね。

相変わらず下手だなぁ。
信じるのも、愛するのも相変わらず下手だなぁ。

新しい世界をもらった。うれしかったなぁ。
全てが存在する荒廃した地。気持ち悪いものや苦しい状況も存在する一度終わった世界。
草原と水。蜃気楼のように街が光っていた。
とっても美しくてまぶしくて、子供みたいに笑ったよ。

わたしは歌をうたうだろう。そして踊る。
きみの地面だよ。

トゲトゲした形は包まれることはないけれど、いつかまた笑う。
わたしはわたしをちゃんと連れて、今日も明日も絵を描くよ。

みんなありがとう。